参考書籍:コミュニケーションを科学する

いかにして機械を人間に近づけるか、を考えることで人の知覚や人間的なコミュニケーションという事を考える。

1937年に「計算できる」とはどういうことかについて考えたチューリングが、1950年、機械とのコミュニケーションの可能性としてチューリングテストを考案。

1946年にe初のコンピュータniacができ、1947年にノーバート・ウィナーがサイバネティックス(動物と機械における制御と通信)を出版、情報の制御と通信について考察が始まる。(サイボーグの語源)

1949年にシャノンが等確立の不確定事象(エントロピー)のいずれかが生起したことを知った、という情報量(1ビット)を定義する。

1966年初期の人口知能elizaが制作される。

1997年ディープブルーが人間のチェスチャンピオンに勝つ。


デカルトの、人間を機械的にとらえる発想において保留されていた「心」の問題がコンピュータ、脳科学等の発達で再思考されはじめた。

1950年チューリングというひとが、機械(コンピュータ)が知能を持ったのかどうかを測るためのテストを考案した。
壁を隔てた向こう側の機械と文字を使って会話をする。壁の向こう側にいるのが人間だと感じれば、その機械は知性を持ったことになる、というもの。
つまり、人間と区別がつかないようなコミュニケーションがとれればその機械は知性を持っている。
逆に考えると、知性とはコミュニケーションによって成立しているともいえる。
ではコミュニケーションと言ったとき、それはどんなことで、どのように捉えられているのだろうか。

ミツバチが蜜の量や位置情報を伝達するためにダンスをする。

馬に乗る。

猟犬とコミュニケーションをはかり狩猟をする。

井戸端会議をする。

神を信仰する。神と交信する。

物語を共有する。

写真、テレビ等に話し掛ける。
ネットゲームを楽しむ。

犬と戯れる。

トカゲと戯れる。

アイボと戯れる。


たぶん趣向や世代によって、どこまでがコミュニケーションなのか分かれると思うが、「アート」と「メディア」がそういった認識を作り出したり再編集したりしていくのに重要な役割を持っていると思う。
また、「テクノロジー」が「新たな可能性」を量産し続けるのは今後も当分続くはずであり、取捨選択や倫理観の設定が迫られる。


では今、機械になにをさせようとしているのかを思い浮かべると、

計算する

聴く

話を理解する

話す

通訳する

探す

追跡する

読む


ここらへんはすぐに思いつくが、


学ぶ

覚える

忘れる

マネをする

事例を参照する

職人技を受け継ぐ

発見する

ひらめく

予測する

冗談を言う

迷う

等はなかなか機械には難しいが、研究はされている。
その研究により、知識とは,知覚とはいったい何なのかという考察に繋がる。

機械にはまだまだだけど、もう少しつっこんだところで言うと、

仕草:髪の毛一本落ちていたときの対処方法から人格や知性を読み取る



表情を作る:エクマンとフリーセンは感情と表情について幸福、悲しみ、驚き、恐怖、怒り、嫌悪の6つに分類、顔面動作符号化システムを作成



握手等の触れ合いによって人間性や気持ちを洞察する


木のぬくもりを感じる

歩調をあわせる


などもある。これらが「人間らしい」と思われる大きな要因たちだとも思う。

機械が人に近づいていく(見かけをリアルにしていく)と現れる「不気味の谷(森政弘『「非まじめ」思考法』)」という考え方もある。
具体的には、劇場版ファイナルファンタジーやリアルダッチワイフの気持ち悪さのこと。

また、甲殻機動隊のモチーフのひとつである「ゴースト」や、機械と人間と動物の違いを扱ったイノセンスなど(浦沢直樹のプルートウ等)は、これらの問題に切迫した好例であり、根拠の無い人間性を引きずったアトム世代から脱却しようとしている。


スペルベル(dan sperber)とウィルソン(deirdre wilson)のコミュニケーション推論モデルに、情報意図と伝達意図というのがある。



情報意図:伝えたいメッセージそのもの、手紙、言葉、お腹がすいている

伝達意図:伝えたいメッセージがあるという定型メッセージ、封筒、呼びかけ、ジェスチャ、赤ちゃんが泣く、高度化して音楽に


音楽とは、「何か伝えたいことがある」というふうに聴こえる音。伝えたいことが何であるかは問われない。

ひとは封筒を受け取ると中にある手紙に相当する情報意図を知ろうとする。

楽曲は封筒にあたる伝達意図であり、曲を聴くと作者の意図を推察するが、楽曲は伝達意図のみなのでユーザの印象は皆違う。



人間のみが音楽等、伝達意図に価値を付与したり操ったりできる。(価値=共感できる/できないの判断、好きか嫌いかの比較)



うがったみかたをすると、情報のインデックスのみを頼りにし勘違いや思い込みが発生するので深い人間性という認識が生まれるともいえる。
そんな単純なことではないと思うが、現代(特に日本)においては上記の伝達意図が超高密度に発展していると感じる。

日本において「侘び」や「寂」、「萌え」なんてのが発達していることが、「人間らしいコミュニケーション」を強調するし、機械がチューリングテストをパスすることをより困難にしている。



人が物事を知覚する重要な要素に「錯覚」がある。(思い込みとかいうことではなく)

錯覚:刺激の物理的な特性と知覚的な特性が一致しない。

事象を「知覚」するために生じる困難な原理的問題を解決するメカニズムがある特殊な状況下で顕在化したもの。

知覚を成立させるため錯覚は不可欠。



我々が知覚しているのは網膜像や鼓膜の振動等の物理的性質の刺激そのものではなく、そのような刺激をもたらすであろう外界の事物の性質である。

現在の知覚研究では、知覚のチューリングテストをおこない、シミュレーション結果を人間の特性と比較してそのモデルの妥当性を検証することが盛んに行われている。


錯覚の例として、隠されると見える(推察する)箱の図や、音声を細切れにしただけでは聞き取れないがその細切れの無音部分にノイズを加えると聞き取れてしまう、等がある。



辞書に書かれているような「意味」ではなく、子供が感じ取るような意味、

穴:くぼんだところ、欠けて不完全なところ等に対し、あなはほるもの、おっこちるとこ(ルース・クラウス著)のように、一般的な再大公約数的な辞書の意味ではなく、きわめて個別的、具体的な、「行為」と深く結びついた意味はギブソンのアフォーダンスに近い。

アフォーダンス:事物の潜在的な利用可能性。知覚とは、行為すなわち環境への働きかけを通して、事物からアフォーダンスを引き出す営みだと言うことができる。






※参考作品
CaseyReas
ChristaSommererAndLaurentMignonneau

DuaneHanson
RonMueck
JeanPierreKhazem

DominiqueGonzalezFoerster
PatriciaPiccinini

MarieAngeGuilleminot
MoriokaTomoki
UlrikeGabriel

Stelarc